《今週のテーマ》
★ゆとりができてからでは遅い
経営の本質とは、人作りである。その昔、武田信玄は「人は石垣、人は城」と言ったと伝えられるが、まさに至言である。企業は人に始まり、人に終わる。いかにして、人を育てるかが、経営者の仕事のポイントになる。
そのためには、部下のことを心から考えねばならない。事業のこと、つまり自分中心でものを考えていては、人を育てることはできない。我を捨てて、相手の立場に立ち、その成長を願う立場に立てた時、初めて人はその真心を感じ、この人のためについていこうと思う。当たり前すぎるほど、当たり前の話ではある。しかし、この当たり前のことを実践している経営者はどの位いるだろうか。
以前、野村証券の人からこんな話を聞いたことがある。1965年、野村証券は専門調査機関として野村総合研究所を設立した。この時、野村証券はえりすぐりの優秀な人材を、プリンストン大学やスタンフォード大学といった米国一流の大学に派遣し、勉強させた。
今でこそ、総合金融機関として世界に名を馳せる野村証券も、1960年代は会社にゆとりがあるわけではなかった。第一回の留学生を送り出す時には、その資金を捻出するために、役員の公用車を国産車に切替え、そこから出た差額を留学費用に当てたほどだった。他にも、留学制度を続けるために費用を切り詰めた。そのため社内からは、そうまでして無理に留学生を送り出す必要があるのか、もっと会社にゆとりが出来てからでもいいではないかという声があった。そうでなくても足りない人材の中から、働き盛りの20代、30代のエリート社員を送り出そうというのだから、反対の声が上がるのも無理はない。
しかし、当時副社長だった、北裏喜一郎氏が、断固として譲らなかったという。野村証券の創立者、野村徳七氏は大正時代に「野村マンは世界のファイナンシャー(金融マン)になれ」と言い、1927年には早くもニューヨーク事務所を設けるなど、先進的考えをもっていた。北裏氏は、このテーマを達成するには一にも二にも人材育成が鍵であると考え当座の仕事に支障が出ても、未来を睨んだ人材育成をしようと考えたわけだ。
留学生は今300人近くに上り、野村が世界の金融市場で躍進する上での原動力となっている。
私は、人材育成の原則を「今不便、将来便利」という言葉で説明することができる。当座は不都合であっても、未来を睨んで人材育成に励んでおけば、必ずその分、将来のメリットとして跳ね返ってくるという意味だ。
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